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Interview 安藤商店 4代目 安藤 安伸
岐阜市は、東海地方の濃尾平野北端の都市、北部は山林エリアで南部に市街地が広がる、自然と人の暮らしがバランスよく共存した由緒ある岐阜県の県庁所在地だ。市内北東から南西を横切る長良川は日本三大清流のひとつで、この都市の顔である。

戦国時代から、斎藤道三、のちに織田信長の治める城下町として栄え、商工業の中心としての役割を担ってきた。1889年に市制が施行され県庁所在地として約40万人の人口を抱える。都市間交流も盛んでイタリアのフィレンツェ市、アメリカ合衆国のオハイオ州シンシナティ市、カナダのオンタリオ州サンダーベイ市など多くの都市と姉妹都市関係を結んでいる。
安藤商店は、岐阜の地に1921年創業の提灯メーカーである。この百年企業はいま、第一級の職人たちにより継承されてきた伝統技法を自社の技術とし、世界に向けての新たな提案に挑んでいる。いまに至る経緯を4代目当主である安藤安伸専務に伺った。
安藤:
「初代は私のひいおじいさんで、安藤安吉という人です。その安吉が名古屋の職人のもとで丁稚奉公をしながら、提灯、雪洞づくりの技を覚え、この地で屋号を掲げたのが始まりです。うち(本社)の隣は常在寺というお寺で、斎藤道三の菩提寺なんです、安吉が創業した当時は、隣近所の誰もが貧しくて、お寺の一角を借りて肩を寄せ合い、分業で雪洞や岐阜提灯づくりをしながら生計を立てていたようです。
安藤:
「おもしろい話があります。ひいおじいさんは字が書けない人でした。でも提灯の文字は書けたんです。文字を絵として記憶していて描くときも下から書いてたんです。これ大事な話で、提灯は下から見て美しくないといけないわけです。それを聞いて、本当に職人だったんだなと思いました。2代目は私の祖父ですが、体が弱かったんです。ただ妻である私の祖母の安藤マサコが、やり手で営業から製造まで幅広く商売をしていました。特に力を入れたのが、雪洞づくりと同時に雛人形の販売でした。

高度成長期からバブル期は、雛人形は、作れば売れる時代でした。祖母はそこに目を付けてうちは名古屋の人形屋に雪洞を納品する、同時に名古屋の雛人形を買って雪洞を付けうちが販売するというWin&Winのビジネスモデルをつくっていったんです。人形の販売は利益率も高くて、現在のようなさまざまな技術を自社に取り込むための投資もすすめていくことができました。」
「cafe&gallery 川原町屋」外観
安藤:
「父の安藤幸延(3代目:現社長)は、アイデアマンで業界では革命児と言われるほど、いろんな提案をしていました。小学館とコラボしたドラえもん提灯や、LED雪洞、つまりコードレスなんですが、省スペースで飾りやすいと一気に広がりまして。あとは写真の店舗(岐阜市玉井町28)も、150年ほど前の紙問屋さんの商家を譲っていただき、父が始めました。はじめは雛人形の展示スペースから始まったんですが、お客様にもっと寛いでもらえるよう、カフェも併設しました。いまはカフェのほうが有名になっています。」
安藤:
「パリで開催されたメゾン・エ・オブジェという展示会に出展しました。ヨーロッパ圏ではドライフラワーを飾る習慣がポピュラーらしく、ドライフラワー用の花瓶を曲げ木の技術を駆使してつくった花瓶をメゾンオブジェにしました。

私の想いは、102年続く先代や多くに関わってきた職人の技を後世に引き継ぎたい、もちろんうちの会社も含め残したいわけです。そのためには、いままでとまったく異なるマーケットにも新たな製品を提案していくチャレンジ精神が重要で、それが4代目の使命だと考えています。」

メゾン・エ・オブジェ(Maison&Objet):世界最大級のインテリアとデザイン関連の国際見本市